国歌・国旗問題(九十八言目)
2005年4月26日4月27日 午前3時28分
こんばんは
世界です。
どうしても、日課のトレーニングの後でないと
日記を書く気にならないので、日付が一日ずれてしまいます。
いい案は無いものか…熟考するも
まとまらず振り出しに戻る。
そんな繰り返しです。
さて、今日は常日頃から思っていた問題に対して
話をしましょうか。
タイトルの通り国歌・国旗の事なんですが
正直、思想信条についての問題は
この日記では取り上げないようにしていました。
誰がどういう考え方を持っていようが
人に迷惑を掛けない程度であれば
または、考えているだけならば、この国では自由ですし
誰も文句を言う権利なんてありませんからね。
一歩間違えば、確実に荒れる問題でもありますし
やはりそこは慎重に…という考えの上だったのですけれども
まぁ、色々な事を書いてみて、受け入れられない方向を探したいですしね。
日記に対しての文句や苦情は掲示板へどうぞ。
さて、この手の問題
昔から騒がれていた問題ではありますが
最近は度を越して大きな問題に変化しつつあるように感じます。
そもそも、先述の通りこの国には思想信条の自由が
憲法によって認められており、また、守られています。
そして、その憲法を盾にして一部教師やその団体
さらには一部弁護士並びに人権団体等
多くの集団が国歌・国旗に反対の意思を示し
ヒステリックに叫びを上げている、と言うのが現在までの簡単な状況です。
彼らは立場や所属する団体の違いからか
国歌・国旗に反対する理由は様々ですが
共通しているのは、それを他人に強要しようとしている点です。
特に一部教師とその団体…所謂日教組と呼ばれる方々は
自衛隊を批判し、国歌「君が代」を天皇を賛美し戦争を美化する歌と決め付けて
反対するという、常人には全く理解できない思想を持って活動しています。
「反戦」という言葉を使えばそれはとても綺麗なものに見えますが
世の中は、必ずしも綺麗なもので構成されている訳ではなく
「反戦」と叫ぶだけで、武器を持ち、こちらを殺そうとしている相手が
友好的な態度に変わる、と本気で信じているのなら
それはもはや幻想です、現実が見えていないと言うしかないでしょう。
世界は戦争に賛成なワケではありませんが
必ずしも反対ということでもありません。
自国・或いは何かを守る為の戦争ならば、それを否定する事などできませんから。
思想・信条の自由と言っても、それは個人の自由で
それを強要する事は他人の自由を奪う行為であり
れっきとした憲法違反です。
日教組の教師達は二言目にはコレを言い出し
「だから卒業式等の式典の場で国歌を斉唱したり、
国旗を掲げたりするのは自由を侵害する行為だ!」
と叫びのたまうのですが…
彼らがそういう考えを持つことに理解はできませんが、自由です。
しかし、それを生徒に強要したり、式典の妨害をする事は
正しい事だと言えるでしょうか?
生徒の中には国歌や国旗が好きな生徒も居るかも知れません
それは無視して、自分たちの要求だけ通す事が
彼らの言う自由の為の活動なのでしょうか?
自由と言うものは言葉にすれば簡単ですが
実際にそれを貫くのはとても難しいものです。
誰も彼もが自由にしていいのならば
社会は成り立たない筈なのですが
昨年逮捕された元教師は、取り押さえられた時
「放せ!俺は社会科の教師だぞ!」
と大声で叫んだそうです。
…教師の低レベル化が問題になっていますが
これでは塾に教育の大部分を奪われてしまうのも
ある意味当然と言えるかもしれませんね。
先に一応そういう考えは自由と書きましたが
そもそも、教師と言うのは公務員ですから
国歌・国旗に反対するならば、まず国から給料を貰うのを
止めて見せてもらいたいものですよね。
公務員を普通の会社員に置き換えてみれば
国歌は社歌であり、国旗はその企業の旗ですよ?
気に入らないから皆歌うな・掲げるななんて言ってたら
即刻首になると思うのですが
そうならない所を見ると…やはり甘い体質にいるんでしょうかね。
警察でさえ、身内に甘い体質が抜けきれていない所がありますからね。
…さすがに国歌・国旗に反対まではしないでしょうけども。
世界の感覚で言えば
国歌も国旗も生まれる前から既に決められていたもので
それを個人のワガママで変えようなんて
考えた事すらなかったものですけど
それは当たり前の感覚のはずですよね。
君が代は辛気臭いですし、日の丸は何だか漫画の弁当を連想して
ダサいとは思いますけども、変えようなんて…ねぇ?
時代の流れによって、様々なものに変化を求めることは大切で
それが進歩に繋がることではありますが
この問題に限って言えば、反対する人間の言う事があまりにもおかしいので
誰にも受け入れられないのでしょう。
いつか、正しい理屈で国歌や国旗が変わる時がくるのでしょうかね。
こんばんは
世界です。
どうしても、日課のトレーニングの後でないと
日記を書く気にならないので、日付が一日ずれてしまいます。
いい案は無いものか…熟考するも
まとまらず振り出しに戻る。
そんな繰り返しです。
さて、今日は常日頃から思っていた問題に対して
話をしましょうか。
タイトルの通り国歌・国旗の事なんですが
正直、思想信条についての問題は
この日記では取り上げないようにしていました。
誰がどういう考え方を持っていようが
人に迷惑を掛けない程度であれば
または、考えているだけならば、この国では自由ですし
誰も文句を言う権利なんてありませんからね。
一歩間違えば、確実に荒れる問題でもありますし
やはりそこは慎重に…という考えの上だったのですけれども
まぁ、色々な事を書いてみて、受け入れられない方向を探したいですしね。
日記に対しての文句や苦情は掲示板へどうぞ。
さて、この手の問題
昔から騒がれていた問題ではありますが
最近は度を越して大きな問題に変化しつつあるように感じます。
そもそも、先述の通りこの国には思想信条の自由が
憲法によって認められており、また、守られています。
そして、その憲法を盾にして一部教師やその団体
さらには一部弁護士並びに人権団体等
多くの集団が国歌・国旗に反対の意思を示し
ヒステリックに叫びを上げている、と言うのが現在までの簡単な状況です。
彼らは立場や所属する団体の違いからか
国歌・国旗に反対する理由は様々ですが
共通しているのは、それを他人に強要しようとしている点です。
特に一部教師とその団体…所謂日教組と呼ばれる方々は
自衛隊を批判し、国歌「君が代」を天皇を賛美し戦争を美化する歌と決め付けて
反対するという、常人には全く理解できない思想を持って活動しています。
「反戦」という言葉を使えばそれはとても綺麗なものに見えますが
世の中は、必ずしも綺麗なもので構成されている訳ではなく
「反戦」と叫ぶだけで、武器を持ち、こちらを殺そうとしている相手が
友好的な態度に変わる、と本気で信じているのなら
それはもはや幻想です、現実が見えていないと言うしかないでしょう。
世界は戦争に賛成なワケではありませんが
必ずしも反対ということでもありません。
自国・或いは何かを守る為の戦争ならば、それを否定する事などできませんから。
思想・信条の自由と言っても、それは個人の自由で
それを強要する事は他人の自由を奪う行為であり
れっきとした憲法違反です。
日教組の教師達は二言目にはコレを言い出し
「だから卒業式等の式典の場で国歌を斉唱したり、
国旗を掲げたりするのは自由を侵害する行為だ!」
と叫びのたまうのですが…
彼らがそういう考えを持つことに理解はできませんが、自由です。
しかし、それを生徒に強要したり、式典の妨害をする事は
正しい事だと言えるでしょうか?
生徒の中には国歌や国旗が好きな生徒も居るかも知れません
それは無視して、自分たちの要求だけ通す事が
彼らの言う自由の為の活動なのでしょうか?
自由と言うものは言葉にすれば簡単ですが
実際にそれを貫くのはとても難しいものです。
誰も彼もが自由にしていいのならば
社会は成り立たない筈なのですが
昨年逮捕された元教師は、取り押さえられた時
「放せ!俺は社会科の教師だぞ!」
と大声で叫んだそうです。
…教師の低レベル化が問題になっていますが
これでは塾に教育の大部分を奪われてしまうのも
ある意味当然と言えるかもしれませんね。
先に一応そういう考えは自由と書きましたが
そもそも、教師と言うのは公務員ですから
国歌・国旗に反対するならば、まず国から給料を貰うのを
止めて見せてもらいたいものですよね。
公務員を普通の会社員に置き換えてみれば
国歌は社歌であり、国旗はその企業の旗ですよ?
気に入らないから皆歌うな・掲げるななんて言ってたら
即刻首になると思うのですが
そうならない所を見ると…やはり甘い体質にいるんでしょうかね。
警察でさえ、身内に甘い体質が抜けきれていない所がありますからね。
…さすがに国歌・国旗に反対まではしないでしょうけども。
世界の感覚で言えば
国歌も国旗も生まれる前から既に決められていたもので
それを個人のワガママで変えようなんて
考えた事すらなかったものですけど
それは当たり前の感覚のはずですよね。
君が代は辛気臭いですし、日の丸は何だか漫画の弁当を連想して
ダサいとは思いますけども、変えようなんて…ねぇ?
時代の流れによって、様々なものに変化を求めることは大切で
それが進歩に繋がることではありますが
この問題に限って言えば、反対する人間の言う事があまりにもおかしいので
誰にも受け入れられないのでしょう。
いつか、正しい理屈で国歌や国旗が変わる時がくるのでしょうかね。
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