思い煩い(百四言目)
2005年5月4日5月4日 19時40分
こんばんは
世界です。
この所、暑くなってきましたね。
まだ五月だというのに、気温は春を通り越して
初夏のようです。
特に書くことも、書きたいこともないんで
律儀に毎日更新する必要もないんですが
なんというか、一度日課にしてしまうと
それはそれで気になって落ち着かないもので
そう言う状況で書いてみると、こんな風に
ダラダラと、別にさして面白いわけでもない文章にしかならないんですが。
結構書きたかったことは書き尽くした感があります。
自分の中に溜めていたこと等も
まぁ客観的に見た正否はどうあれ
半ば勢いとヤケで書いてしまいましたし。
これについては少なくとも、友人から貰った意見では
随分誤解されているな、と言う事がよくわかりましたけど。
文字にする、というのはやはり難しいことです。
何に対してのこともそうですけどね。
それにしても、正直、重大事件や事故を取り扱うのが
こんなに疲れるとは思いませんでした
ってのが、結論でしょうか。
まだ一度か二度しか書いてませんけど
ニュース記事を見て考えた段階で
嫌になって放棄したのは一度や二度じゃありませんからね。
そんなことを踏まえた上で、自分のことを考えてみると
基本的に、世界は二面性があると自分でも思っています。
それは無意識な部分もありますし
意識してそうしている部分もあります。
一つの事柄に対して、片一方だけの意見だけでなく
別の方向から考えて見ること
それはとても大事なことで
それが基本だと世界自身認識しているからなんですが
コレって結構厄介なんですよね。
自分で言ったことでも、後から、又はその場でも
違う考え方を見つけたり、思いついてしまったりして
支離滅裂になったり、意見が首尾一貫しなかったり
そういうの、割とたくさんあります。
日記でも、あ、前書いたのと違うなとか思うことありますしね。
そうなってしまったら
後は自分の中にただ一本の線引きが必要で
でも、それが必ずしも正しいなんてことはありえないワケで
俺は間違っているかも知れない
その意識は常に心の中にあります。
でもそれを気にしてたら何もできませんし
生きていく事さえ怪しくなってきます。
だから、例え間違っていると思っても
あえてそれを実行したりしてしまうワケで。
それが、世界はきっと極端なんでしょうね。
でも、決してその時に言っている事や行動が
いい加減だってワケじゃないんです。
いや、まぁ普通はその場できっちり自分で判断して
自分を疑うようなことはしないんでしょうが。
後から、或いはその場でも
コレはまずかったな、と思うことって
ホント多いんですよ。
だからこそ、世界は後悔しない生き方がしたいです。
それはずっと昔から変わらない世界の生き方の一つです。
実際、今迄を振り返ってみて
反省こそすれ、後悔していることなんて
殆ど無いです。
悪いことしたなぁ、とか、失敗したなぁとか思っても
それは紛れも無く世界自身が判断してやったことで
その場では正しいと思ってやったことなんですから
後悔なんてしていません。
祖母が亡くなった時くらいですか
本当に後悔したのは。
…と、まぁ
いつもこんな事ばかり考えていると言う事で
今日は日記を締めるとしましょう。
書くことがないと、辛気臭くなっていけませんねぇ。
こんばんは
世界です。
この所、暑くなってきましたね。
まだ五月だというのに、気温は春を通り越して
初夏のようです。
特に書くことも、書きたいこともないんで
律儀に毎日更新する必要もないんですが
なんというか、一度日課にしてしまうと
それはそれで気になって落ち着かないもので
そう言う状況で書いてみると、こんな風に
ダラダラと、別にさして面白いわけでもない文章にしかならないんですが。
結構書きたかったことは書き尽くした感があります。
自分の中に溜めていたこと等も
まぁ客観的に見た正否はどうあれ
半ば勢いとヤケで書いてしまいましたし。
これについては少なくとも、友人から貰った意見では
随分誤解されているな、と言う事がよくわかりましたけど。
文字にする、というのはやはり難しいことです。
何に対してのこともそうですけどね。
それにしても、正直、重大事件や事故を取り扱うのが
こんなに疲れるとは思いませんでした
ってのが、結論でしょうか。
まだ一度か二度しか書いてませんけど
ニュース記事を見て考えた段階で
嫌になって放棄したのは一度や二度じゃありませんからね。
そんなことを踏まえた上で、自分のことを考えてみると
基本的に、世界は二面性があると自分でも思っています。
それは無意識な部分もありますし
意識してそうしている部分もあります。
一つの事柄に対して、片一方だけの意見だけでなく
別の方向から考えて見ること
それはとても大事なことで
それが基本だと世界自身認識しているからなんですが
コレって結構厄介なんですよね。
自分で言ったことでも、後から、又はその場でも
違う考え方を見つけたり、思いついてしまったりして
支離滅裂になったり、意見が首尾一貫しなかったり
そういうの、割とたくさんあります。
日記でも、あ、前書いたのと違うなとか思うことありますしね。
そうなってしまったら
後は自分の中にただ一本の線引きが必要で
でも、それが必ずしも正しいなんてことはありえないワケで
俺は間違っているかも知れない
その意識は常に心の中にあります。
でもそれを気にしてたら何もできませんし
生きていく事さえ怪しくなってきます。
だから、例え間違っていると思っても
あえてそれを実行したりしてしまうワケで。
それが、世界はきっと極端なんでしょうね。
でも、決してその時に言っている事や行動が
いい加減だってワケじゃないんです。
いや、まぁ普通はその場できっちり自分で判断して
自分を疑うようなことはしないんでしょうが。
後から、或いはその場でも
コレはまずかったな、と思うことって
ホント多いんですよ。
だからこそ、世界は後悔しない生き方がしたいです。
それはずっと昔から変わらない世界の生き方の一つです。
実際、今迄を振り返ってみて
反省こそすれ、後悔していることなんて
殆ど無いです。
悪いことしたなぁ、とか、失敗したなぁとか思っても
それは紛れも無く世界自身が判断してやったことで
その場では正しいと思ってやったことなんですから
後悔なんてしていません。
祖母が亡くなった時くらいですか
本当に後悔したのは。
…と、まぁ
いつもこんな事ばかり考えていると言う事で
今日は日記を締めるとしましょう。
書くことがないと、辛気臭くなっていけませんねぇ。
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