俺に「明日」は後何度来る?(百二言目)
2005年5月23日5月23日 午前3時7分
こんばんは
世界です。
いや、まいった。
実に7〜8年振りに喘息の発作が顔を出してきた。
意識は大分慣れっこになっているとはいえ
ここ最近は兆候すらなかったものだから
体がついていかない…喘息ってこんなに辛かったんだっけか?
おまけに37℃程度の微熱でめまいはするし、平熱が低いってのは
いいことが無い気がするなぁ。
しかし、今回のはまだ軽い発作に入るレベルだというのは解る。
本当に酷い発作になると、周囲の空気の流れさえも呼吸を乱す要因になる
アレはキツイ。
昼間から眠って、大体明け方位になると、発作のピークが来て目が覚める。
喘息とは生まれてすぐからの付き合いになるけれど
このパターンはずっと変わらないと言うのも
考え様によっては面白いかも知れない。
楽しんでいる余裕があれば…なんだけど。
思えば、生まれてすぐに無熱肺炎と喘息を併発して死にかけてから
今迄、結構やばいかな?という状態を潜り抜けてきた。
「死ぬ」って事は、割とすぐ身近にあったと思う。
一度は自分で「死のう」と思ったことがあるけれど
それはなんだか口惜しくて止めた事もあった。
思い出してみれば、それは死が身近にあったから
踏み止まることが出来たんだろう。
だって、いつまで生きてられるかわからないんだから
何も自分でそれを止める事なんて無いじゃないか。
根本的には、そういう意識がある。
この一ヶ月と少しの間
自分なりに真面目に体力作りのトレーニングを初めてから
そんな意識を強く認識するようになった。
俺は前述の通り喘息持ちで気管支が弱いので
特に走ることが苦手だった。
今でも得意じゃないけれど、走っていて楽しいと思ったことなんて
実は一度もない、いや、無かった。
でも、ここの所で
徐々に楽しいと思えるようになってきた。
昨日より、一昨日よりも長く距離を走れると、凄く気分がいい。
勿論、走れば苦しいし、足も痛む。
でもそれと同じ位に「もっと…もっと!」と走りたい欲求が沸いてくる。
力を出し切るくらい走るのが、とても楽しい。
「まだまだ、まだまだ走れる!」
いつも走りながら考えているのはそんな事ばかりだったりする。
けれど
体がついてこない。
普通の人なら、たいしたことのない範囲の運動のはずなのに
俺の体はすぐに不調を訴える。
それが口惜しくて
とても口惜しくて
ちょっと無理をしてみれば、このザマだ。
命を削ったって言うのか? この程度で?
人の命はそう簡単には終わらない。
多少の無理なんてどうにでもなるはずなんだ。
いや、無理じゃない
普通ならば無理なんかじゃない。
俺の体が弱いだけで、一般的には無理なんてレベルじゃないはずだ。
本当に、自分が情けないと思う。
弱い体と、それに甘えてきた自分が、今更だけど情けない。
もっと強い体が欲しい。
ガキの頃より、大人になった今の方が
その願望は大きくなっている気がする。
憧れのヒーローのように、機械の体でもいい。
人間じゃなくなったとしても、それでもいい。
恥ずかしいけれど、冗談抜きで
ちょっと本気でそう思った。
馬鹿みたいだが、それくらい自分の弱さが嫌だってことで。
死んでしまうのは嫌だけれど、仕方ないとも思う。
いつか来るその時まで、精一杯力を出しきっていたい。
命はそう簡単には終わらない。
まだ最後までは遠いはずだ…多分。
だから
俺に「明日」は後何度来る?
後何度全力で走れる?
凄く気になるけれど、構うものか。
負けてたまるか、このクソッタレな貧弱者め。
何度でも走ってやるぞ、ざまぁみろ!
…でも、これって命を粗末にする事になるのかな?
一応仏教徒だから、命を粗末にするのは良くないんだけど(苦笑)
本当は19日の仕事(ボランティア活動)だった
森進一さん主催のチャリティーイベント「じゃがいもの会」の話を
日記に書こうかと思っていたのだけれど
それを書く前にこんな有様になってしまった。
まぁ、今度ゆっくり書くようにしようか
詳細を覚えていられたら、ね。
あー…胸が痛ぇ。
こんばんは
世界です。
いや、まいった。
実に7〜8年振りに喘息の発作が顔を出してきた。
意識は大分慣れっこになっているとはいえ
ここ最近は兆候すらなかったものだから
体がついていかない…喘息ってこんなに辛かったんだっけか?
おまけに37℃程度の微熱でめまいはするし、平熱が低いってのは
いいことが無い気がするなぁ。
しかし、今回のはまだ軽い発作に入るレベルだというのは解る。
本当に酷い発作になると、周囲の空気の流れさえも呼吸を乱す要因になる
アレはキツイ。
昼間から眠って、大体明け方位になると、発作のピークが来て目が覚める。
喘息とは生まれてすぐからの付き合いになるけれど
このパターンはずっと変わらないと言うのも
考え様によっては面白いかも知れない。
楽しんでいる余裕があれば…なんだけど。
思えば、生まれてすぐに無熱肺炎と喘息を併発して死にかけてから
今迄、結構やばいかな?という状態を潜り抜けてきた。
「死ぬ」って事は、割とすぐ身近にあったと思う。
一度は自分で「死のう」と思ったことがあるけれど
それはなんだか口惜しくて止めた事もあった。
思い出してみれば、それは死が身近にあったから
踏み止まることが出来たんだろう。
だって、いつまで生きてられるかわからないんだから
何も自分でそれを止める事なんて無いじゃないか。
根本的には、そういう意識がある。
この一ヶ月と少しの間
自分なりに真面目に体力作りのトレーニングを初めてから
そんな意識を強く認識するようになった。
俺は前述の通り喘息持ちで気管支が弱いので
特に走ることが苦手だった。
今でも得意じゃないけれど、走っていて楽しいと思ったことなんて
実は一度もない、いや、無かった。
でも、ここの所で
徐々に楽しいと思えるようになってきた。
昨日より、一昨日よりも長く距離を走れると、凄く気分がいい。
勿論、走れば苦しいし、足も痛む。
でもそれと同じ位に「もっと…もっと!」と走りたい欲求が沸いてくる。
力を出し切るくらい走るのが、とても楽しい。
「まだまだ、まだまだ走れる!」
いつも走りながら考えているのはそんな事ばかりだったりする。
けれど
体がついてこない。
普通の人なら、たいしたことのない範囲の運動のはずなのに
俺の体はすぐに不調を訴える。
それが口惜しくて
とても口惜しくて
ちょっと無理をしてみれば、このザマだ。
命を削ったって言うのか? この程度で?
人の命はそう簡単には終わらない。
多少の無理なんてどうにでもなるはずなんだ。
いや、無理じゃない
普通ならば無理なんかじゃない。
俺の体が弱いだけで、一般的には無理なんてレベルじゃないはずだ。
本当に、自分が情けないと思う。
弱い体と、それに甘えてきた自分が、今更だけど情けない。
もっと強い体が欲しい。
ガキの頃より、大人になった今の方が
その願望は大きくなっている気がする。
憧れのヒーローのように、機械の体でもいい。
人間じゃなくなったとしても、それでもいい。
恥ずかしいけれど、冗談抜きで
ちょっと本気でそう思った。
馬鹿みたいだが、それくらい自分の弱さが嫌だってことで。
死んでしまうのは嫌だけれど、仕方ないとも思う。
いつか来るその時まで、精一杯力を出しきっていたい。
命はそう簡単には終わらない。
まだ最後までは遠いはずだ…多分。
だから
俺に「明日」は後何度来る?
後何度全力で走れる?
凄く気になるけれど、構うものか。
負けてたまるか、このクソッタレな貧弱者め。
何度でも走ってやるぞ、ざまぁみろ!
…でも、これって命を粗末にする事になるのかな?
一応仏教徒だから、命を粗末にするのは良くないんだけど(苦笑)
本当は19日の仕事(ボランティア活動)だった
森進一さん主催のチャリティーイベント「じゃがいもの会」の話を
日記に書こうかと思っていたのだけれど
それを書く前にこんな有様になってしまった。
まぁ、今度ゆっくり書くようにしようか
詳細を覚えていられたら、ね。
あー…胸が痛ぇ。
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